すこしかじり虫

多趣味で結局無趣味。なんでも中途半端。そんな性格の人が書いてるブログです。

思い出し日記 1986年

8月3日

午前6時起床。

たばこ2本吸っただけでホテルを出たのが6時40分。

ひんやりとした空気の中、霧の中走った。晴天には違いない。

名寄、士別、温根別、朱鞠内と行く。なんと昨日走っていたのは湖の裏側だった。なんということだ。

午前9時、誰もいないキャンプ場でチリトマトヌードルとコーヒーの朝食。熊が出るんじゃないかと気が気でなく、少し焦り気味に食う。

食い終わり、来たダート道を引き返すと、そこが立ち入り禁止区域と知る。誰もいないわけだ。それだったら、ちゃんとゲートの役目を果たせるようにチェーンを張り詰めておいてほしいもんだ。

立ち入りオーケー区域では、日曜日のせいもあってか、湖上綱引きなどいろいろ催し物があった。

温根別をメット無しでゆっくり走ってみる。(免停のことは忘れてる)何とも言えない。雄大さを感じた。たっぷり30分かかった。気持ちよかった。

士別から士別滝ノ上線という道道を岩尾内湖へ。人口湖だ。湖水祭りをやっていた。昼飯にトウモロコシを茹でて食う。

仔豚レース、舞踏、カラオケ大会、時をかける少年(何のことだったか思い出せない)・・・など、なかなか面白い祭りの一日だ。

  

確かに滝上町を通り、紋別へ抜けるつもりだった。

あやふやな分岐点を勘で選ぶからあんなことになるのだ。

牛の横断注意の標識のある下川愛別線という道道・・・道を間違えたのだ。

何キロも続く、車一台通るのがやっとのダート道。峠が二つばかりあった。これでタイヤが参ったのだろうな。

ダートが済んだ?と思ったら工事中で行きどまり。思いっきりメットの中で「馬鹿野郎!!」と叫んでいた。

結局また違うダート道を通り、R39へ。

愛別の農家は温根別のそれとはだいぶ違っていた。愛別のには家畜の姿が見えない。水田中心のようだ。温根別の農家は収入がいいのか、ごく最近新築したような家に住んでいたが、愛別の家屋は木造で玄関の引き戸もサッシではなく木製だった。なぜこんなにも違いがあるのだろう‥‥

(全戸を見たわけでもないのに、何を言っているんでしょうな、この若者は)

バイクのタンクを満たした後、R273へ折れる。紋別へ行くのだ。

天幕へ来た時、バースト!

「刺激がないからパンクでもしろや」などと考えた矢先だった。

瞬間パンク修理剤を使う。後輪を見ると、穴は開いているが刺さったものは見当たらない。きっと抜けたんだな。

修理剤を注入した後、説明書通りに2~3キロ走ってみる。空気が抜けていく。なんだ、これ?

バイクを降り、レバーでチューブを取り出す。思わぬ数の穴が開いていた。10個以上の穴だ。タイヤの内側を探ると、ガラスの破片が残っていた。

馬鹿野郎! 空き瓶を無闇に捨てるな!!

修理中、バイクが2台と車が1台、停まってくれて「大丈夫ですか?」

パッチを貼るが、何しろ数が多いし、修理剤の白い液体も悪い影響だ。ゴムノリがくっつかない。結局この場で直すことをあきらめる。

陽はもう夕暮れの色。寝場所を探さなければ。

満タンのタンクとパンクした後輪、重い荷物。バイクを押して天幕駅まで行く。途中何度も休み、何度もののしり、ほうほうのていでようやく天幕駅へ着く。

喉はカラカラ、腕は上がらない。膝はガクガク。カップラーメンとトウモロコシで腹を満たそうと思ったら、無人の天幕駅に水はなかった。

駅員の部屋にポットや湯飲みが見える。しかし内側からカギがかかっていては入れない。窓を破ろうかとちらっと頭をかすめたが、思いとどまる。それは犯罪だ。

結局空の水筒を持って近くの農家、「渡辺」さん宅へ。

夕暮れ時、仕事にスパートをかけていて忙しい中、水をもらう。

持ってた水筒に一杯と、焼酎の瓶に一杯、そして冷たい水をカップに一杯。ありがたかった。喉を鳴らして飲んだ。

電話するんだったら、夜の8時ころおいで、と言われる。虫がひどくて寝れなかったら、家に泊まりにおいで、とも言われる。それはとんでもない、と断る。

二本の水筒を胸に抱えて天幕駅にとぼとぼ帰るとき、思わず泣いてしまった。

(数年後、「千と千尋の神隠し」を見た会社の同僚がおにぎりを食べた千尋が大泣きしたシーンを「あれ、意味わかる?」と聞いてきたとき、この時のことを思い出した。「すごくわかる」と答えたことを覚えている)

カップラーメンとコーヒーの晩飯をとる。水は大事に使おう。ベンチに寝袋を広げ、横になるがなかなか眠れなかった。蛾がひどいし、何度か特急が通り過ぎるし、暑苦しいし。

今日は日曜日なんだな。改めて世間から離れた生活を身にしみて感じた。

  

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岩尾内湖だった

  

  

  

 8月4日

午前4時起床。トウモロコシ1本を茹でて朝食にする。

その後、ガムテープとビニルテープでパンクの応急処理をしようとするが、さすがに無理だ。

8時半、渡辺さん宅へ電話を頼みに行く。最初は自分で電話をするつもりで行ったのだが、親父さんの知っている店がある、と言って親父さん自身が電話してくれた。助かった。昨日、ののしりながらバイクを押して歩く姿を見ていたのだろうか、500ccくらいのバイクじゃないか、とか言ってる。いやいや、50ccなんですよ、渡辺の親父さん・・・

軽トラでやってきてくれる、とのこと。

天幕駅で到着を待つ。少し眠る。

10時半、沢野さんがやってくる。バイクをトラックに積み、上川へ。

チューブだけじゃなく、ワイヤの露出しているタイヤも交換が必要とのこと。ホイルも傷ついていて、このままだとまたいつかきっとパンクする、と。

タイヤがそのショップに届くのが午後2時半ごろになる。それまで上川駅へ。

ラーメンライスで腹を膨らます。女子大生らしい女の子が駅にたくさんいた。その中に自転車を組み立てている3人組がいた。国鉄を利用して自転車を運び、ツーリングをしているのだろう。一生懸命組み立てている。みんないろいろ考えるものだ、とその時感心したものだ。

眠いはずなのに、なかなか寝れない。神経が眠ってくれないのだ。もっと図太い神経が欲しいと思った。

沢野さんには厳しい忠告をいただいた。

ツーリングにはルールがある、ということ。事前にきちんとショップの点検整備を受けるべきだ、ということ。それを怠ったがために今そのツケが回ってきているのだ、ということ。

タイヤを3.50から3.0という幅の狭いものに交換。直進時の安定性は少しなくなるが、カーブには強い。チューブも交換。プラグも交換。チューブは予備にもう一本買う。タイヤ7,800円、チューブ1,400円X2本、PJ-1 950円也。

チェーンも伸び切ってしまっていてツーリングの最後までもつかどうか、と言われた。でもチェーンオイルで寿命を延ばしながらごまかしながら行けるから、と。

沢野さんからキーホルダーをもらう。俺の守り神だ。

午後4時15分、R273へ乗る道を教えてもらい、沢野オートサービスを辞す。

昨日パンクした道を通る。今度はパンクしない。そんなに簡単にパンクしてたまるか。

途中に3kmもある浮島トンネル。何回か一服する。バイクが少しかぶり気味のためアイドリングで少し休める。調子はすぐに戻る。キャブの調整も沢野さんにしてもらった。紋別に着いたら沢野さんに電話しようか。(結局いまだにしていない)

非常に眠い。

途中でまたダートに入った。引き返そうかと思った。後輪に負担がかかってパンクしやすくなるからだ。紋別には拓銀もコインランドリーもあることだろう。急ぎたかった。そのまま突っ切る。結局ダート道は2~3kmで終わった。よかった。

R273には全くツーリングバイクがなかった。

雨の降りそうな空模様が心配だったが、降られぬまま紋別へ。

もう暗くなってしまっている。この時初めて度の強いほうの新しい眼鏡に替える。

紋別駅で夕食を食う。だいぶツーリングフリークが集まっていた。

カップラーメンとトウモロコシとコーヒーで冷えた体がある程度温まった。

紋別駅には青森の尾上町盛美園のでかいポスターがあった。NHK「いのち」のふるさと津軽へようこそ!という触れ込みだった。ここから青森のあの地へ出向く人っているのかな? 青森も頑張っているじゃないか、俺もがんばろ。

拓銀とコインランドリーには明日行くことにしよう。

夜、街をぶらつく。飲み屋街にコインランドリーを見つけた。11時を回っていてもう閉まっている。洗濯物を持ってきたら明日の朝には出来上げて返すよ、と親切(? 商売?)なおばさんが言ってくれたが、「明朝また来ます」と言って辞退する。

二人の野生のエルザが登場した紋別の夜は更けていく。

(野生のエルザ=駅舎に泊まることはできたが、トイレは封鎖されている。サイクリングなのか、ツーリングなのか、女性が二人、トイレが封鎖されているために「野生のエルザになるしかないのかあ」といいながら、駅舎を出て行った夜中・・・)

  

  

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ずっと今でも使ってます。沢野オートサービスでもらったキーホルダー