すこしかじり虫

多趣味で結局無趣味。なんでも中途半端。そんな性格の人が書いてるブログです。

思い出し日記 1986年

8月7日

午前5時起床。

昨晩突然1時ころ目が覚めてしまった。とにかくうるさい奴がいた。やたらと声がでかい。その上、脳天突き抜けてるような明るさ。最も嫌いなタイプだ。

昨晩は寒くて寝袋の中で、さらに毛布にくるまって眠った。ヌクヌクとして気持ちがよくて今朝寝袋の中から出たくないと一瞬思ってしまった。

空はあいにくの空模様。

早すぎるのだが、腹が減ってしょうがないので飯にする。カップラーメンとコーヒー。いつものメニュー。

ここの駅前は放置自転車もきれいに自転車置き場に並んでいて実に立派だ。

思い出したが、弟子屈には町営の遊覧飛行場があった。それに馬に乗れる牧場も。

家畜市場があったのは美幌からの道道の途中だったろうか。

そういえば今頃ねぷたの7日目なんだな。実家の町も騒がしくなっていることだろう。

一旦斜里まで行き、ガソリンを入れ、R334を知床峠を目指す。宇登呂ではキタキツネと銀ぎつねが店先で鎖につながれていた。「コン」とは鳴いてくれなかった。

知床峠まで来ると久しぶりに見る青空が羅臼の方向に広がっている。きっと太平洋は晴れているんじゃないかな。だといいけど。

知床五湖まではやはり途中からダートだった。断念する。悔しいことだが、カムイワッカまでは行けなかった。(今思えば、強行突破してもよかったかな)

知床峠を下るとき、バイクのメーターは10,000㎞を超えた。峠の上りでは霧が凄かったが、下りはそんなではなかった。自転車で上ってくる女の子の手を振る仕草と笑顔が印象的だった。無視されたのもあったけど。

残念ながら羅臼は晴れてはいなかった。風が涼しい。でも上の雨具は着ないで行く。

標津まで来た。時間は正午少し前。標津の漁港の防波堤のうえでインスタントラーメンを食う。潮風と塩ラーメン。いい組み合わせじゃないか。知床半島の雑木林もすごかったけれど、こういう港でラーメンなんてのもいいものだ。(当時の価値観)

野付半島へ行く。行く道のりが長い。トドワラへの歩く道も長い。疲れた。久しぶりにこんなに歩いた。でも行く先々でサークル仲間の生地を訪ねて歩くのは面白いものだ。ここは別海町。後輩の女の子の生地。

R244→R243→R44と根室へ。

別海の辺りから肌寒くなり、根室に着いた頃には体がぶるぶる震えだした。

午後5時少し前根室に着くが、ノサップ岬は明日にしよう。

いつか新聞で読んだツーリングトレインを利用する。車内は火気の使用禁止ということで外でインスタントラーメンとコーヒーを摂る。福岡から来たGPzF=Ⅱの人(毛ガニを食ってた)と少し話をする。俺は口下手だからどうにもならない。紋別清里町と同じことになってしまいそうだ。

今日、知床や野付で青森ナンバーと八戸ナンバーの四輪を見た。そういえば二輪は見てないな。俺はあまり二輪のナンバーは注意してみてないけど。大体追い抜かれながらピースサインを送るから、(相手は追い抜きざまに自分のミラーに向かってサインをよこす)ナンバーよりも相手の顔を確認してしまう。

酒が飲みたい。酒でもなければ眠れない。本当は弟子屈の夜のようにしゃべり疲れて眠るのが一番いいのだが。

でも、今日は野付で久しぶりに歩く、という運動をしたからぐっすり眠れそう、かな。

  

  

f:id:je7mgw:20200715213353j:plain

標津港の防波堤

  

  

 

f:id:je7mgw:20200720234506j:plain

根室ツーリングトレイン、1泊400円!