すこしかじり虫

多趣味で結局無趣味。なんでも中途半端。そんな性格の人が書いてるブログです。

思い出し日記 1986年

8月12日

4時50分起床。寒かった。しかし天候は晴れ。早すぎる朝食をカップヌードルとコーヒーで済ます。どうも腹の具合がパッとしない。タバコがよくない。吸いすぎているようだ。

「北海道は無法地帯」だって。泊ってた別グループの誰かがほざいていた。この北の大地はおおらかな気持ちで内地からやって来る「ミツバチ族」なんかを受け入れてくれてるんだと思うんだけど。そこをわきまえないと。この場でディベートをしない俺も考えを改めていかないとな。

6時20分駅を出るが、ガソリンスタンドが開いていない。どこも8時開店のようだ。ようやくさびれたスタンドに人がいるのを見つけ満タンに。運もよかった。

襟裳岬へ行く。霧で何も見えなかった。雷は鳴り出すし。途中の海岸沿い道路は昆布の匂いでむせ返るようだった。みやげ物屋で珍味の試食を出していた。少しつまんでみる。もっと食いたかったが、そんなことをやっているのが自分だけだったので恥ずかしくなってやめる。

ひたすら太平洋岸を走る。静内駅で昼飯。パンとエビせんで腹をごまかす。やはり浦河よりこの町のほうが大きかった。誰かの言ったとおりだった。

苫小牧へ。大都市だ。ダンプが多い。道路が広い。去年来たときはこんなにものすごいものとは感じなかった。パンを食う。

3時過ぎ支笏湖へ向かって苫小牧駅を出る。森を貫く真っすぐな道を30分ほど行くと湖畔に出た。

時計と反対回りに湖一周を企てる。途中雨合羽を着こむ。一度道を間違え、ついにダート道に。トレール車が「気を付けて!」と声をかけてくれる。俺は好きでこんな道を走っているんじゃない。無性に腹が立った。賀曽利隆のバカ野郎! (八つ当たりにもほどがある)

道を間違えた自分が悪いのだ。GN50よ、ごめん!

(後で道は間違えていないことがわかる。一周するのはこの道だけだった。ダートを走れるバイクじゃないとダメだったか。賀曽利隆もトレール車じゃなかったっけ)

そのあとの国道は工事中でまたダート道。またまた腹を立てる。さっさと舗装してもらいたいものだ。

もと来た道、R276を苫小牧に戻る。だいぶ辺りは薄暗くなっている。焦ってくる。今晩の寝場所が・・・

そうだ! フェリーターミナル。今晩はそこにしよう。

・・・待合室のソファに座った時、心の底からほっとした。今日は今までの中で一番走った日なのではないだろうか、と思えた。

支笏湖と言えば札幌とは目と鼻の先。無性に札幌が恋しい。このまま札幌のアパートに帰ってしまおうか、とさえ考えてしまった。懐かしい音がある。冷蔵庫を開く音、スピーカーからラジカセのスイッチが切れたことを伝えるブツッという音。

それにしても今の俺の格好はジャンパーといい、ジーパン、靴下、ズック、髭、髪とどれをとってもみすぼらしいものになってしまった。旅の前半に着ていた半そでシャツにはカビが生える始末。

結局、11時近くなって苫小牧駅に移動して眠る。(フェリーターミナルは夜中でも往来があって静かになりそうになかった)

  

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何も見えない襟裳岬