8月13日
5時半起床。天候は曇り。
R36、懐かしい道路を室蘭へ。8時ちょっとすぎに室蘭到着。途中はちょうど朝のラッシュでだいぶ混雑していた。
ポロト湖と登別温泉は素通りしてしまう。ダンプが凄かった。彼らからしたら、原付なんてまとわりつくコバエみたいに邪魔だろう。
室蘭は晴れていた。室蘭駅でようやくパンの朝食。
R37へ乗る。トンネルが多い。気が付いたら車、車、車。自動車の行列となっていた。うんざりするほどの真っすぐな道路を抜けると長万部。もうここまで来ると土地の人に訛りがある。
途中、洞爺湖に寄ったが、写真を撮っただけで終わってしまった。
ふと、湖水をすべるヨットやウィンドサーフィン、そして青い空を見たとき、「この旅を楽しんでるのか?」と疑問を持った。
「行かなければ」「走らなければ」と義務的な感情で走っているだけになってないか?
「走ればいい」「次の町へ着けばいい」という状態。途中の見所、遊びどころをもっとゆったりと楽しんでもいいのではないか? ・・・・・もう旅も終盤だけど。
ここからR5を函館に向けて進む。
途中すれ違うパトカーが何かスピーカーで言っていたが、俺に向けて言ったことなのか、何を言っているのか全く聞き取れなかった。
だいぶ危ない運転をしている。特にスピード面。累積点数の件もあるし、なんて運がいいんだろう、と思う。
函館に入ると、陽光がまぶしく、そのせいとは言わないが、シュラフの入った袋を落としてしまう始末。(日記にはこう記述があるが、何があったのか全く記憶がない。あったことを細かく書いてこその日記だな。読んで思い出に浸れる。そのために文字に残しているんだろうに)
もうないだろうと思っていたが、国鉄フェリー夕方5時のやつが空いている、とのこと。今は3時半。一泊して朝市とかを見てもよかったんだが、その便で青森に渡ることにする。青森到着が9時ころになる予定。拓銀へ行って1万円おろす。
今晩は青森に帰ってゆっくり安らげると思ったら安心したのか、熱っぽくなってきた。実家に帰ったら寝込んでしまうんじゃないだろうか?
6時ころから1時間ほど眠る。浅い眠りだったようだ。
7時ちょっとすぎ、連絡船のうえから家に電話を入れる。自分の声が受話器に返ってきていささか宇宙的なエコーを感じた。青森は雨は降ってない、とのこと。
津軽海峡はあくまでも穏やかだった。半月が揺れる海面に映える。下北半島ではそれが漁火となった。
少しセンチになり、いろいろなことを考えてしまう。
サークルのこと、恋愛のこと、この旅のこと・・・・
(就職のことは考えなかったようだ)
・・・・その夜、久しぶりに田舎の汗ばむ空気の中で眠りについた俺だった。
8月25日
田舎でたっぷり遊んだ。
高校の同級生たちを見て「就職」のことをいまさら考えてしまっていた。
午後7時25分、国鉄フェリーで青森を発つ。道を間違えたりして時間ギリギリのところだった。
このフェリーは一般客は乗せないらしい。見送りもできない。彼女を連れてきてたのは、誰だったっけ?
函館着11時20分。寝場所を確保。まだずいぶんツーリングの人間がいる。
どうにも眠れなくて函館の町をぶらつく。
「お兄さんはこういうところで遊ぶタイプじゃないもんね」
そう思ったんなら、話しかけるな、と思う。なんかの店の呼び込みのお兄さんだった。
深夜営業の和風喫茶「姫」 店に入ると店の人はみんな寝ていた。おいおい、腹をすかして何か食おうと思ってんだぞ。深夜「営業」出来ないならやめちまえ。富良野で食った親子丼みたいもの食わせられたら困るし、そのまま黙って店を出、駅に戻る。
8月26日
函館駅に午前5時過ぎ起床。
昨晩は夜の街を散策したりして2時間くらいしか眠っていない。頭がボーとしている。
朝市を見る。
コーヒー牛乳一個とタバコを朝飯にして発つ。
R5から山あいを走るR227へ。晴天だったのに濃霧がいきなり包み込んでしまう。まるで雨でも降りそうな曇り空のようだ。空気もひんやりしている。
海岸に出ると霧も晴れる。だが体は冷え切っている。ようやく小学生が通学しだす時間だ。肌寒い。
江差のフェリー待合室で眠ろうとするが眠れない。奥尻島に行く気はないし、結局出発。R227からR229と北上。乙部、熊石、北檜山、瀬棚、島牧・・・・
島牧村で店に入り、ピラフセットを食らう。タバコを吸い、「美味しんぼ」を読み、昼下がりの休息。
岩内からR5へ出る道道に折れる。山の中を進むR5でこの旅初めての立ちション・・・失礼しました。
余市、小樽、そして札幌へ。午後5時過ぎ到着。
旅は終わった。